室町時代になると、従来までの窖窯に代わり、新しく「大窯」が登場します。
窯の分布も、集落の近くに移ってきました。瀬戸で大窯が盛行した時代は、室町時代後期から安土・桃山時代に至る約130年ほどです。室町時代後期には、明代の中国陶磁を模倣したと言われている天目茶碗や、碗・皿類、擂鉢(すりばち)などの高級日用生活用具が生産されました。
安土・桃山時代になると、わび茶の完成、茶の湯の流行も相まって、天目茶碗、水指、建水などの茶陶関係のものが生産されました。そしてこれらの器種の多くは、全国をはじめ、畿内を中心とした上層階級や町衆らの新興階層の需要に応じて生産されたものと思われます。しかし、その頃の主要生産地は、瀬戸よりも美濃(岐阜)のほうが隆盛を極めていました。例えば美濃での、瀬戸黒、黄瀬戸、志野などの多様な釉薬の使用からもその隆盛さの一端を伺うことができます。
久尻窯出土
17世紀初期 口径13.8 (瀬戸蔵ミュージアム蔵)